腕立て伏せの発見

ピラティスを始めた頃、渡辺満里奈のDVD「ピラティス道」を見よう見まねしながら、疑問の渦に投げ込まれていた。
満里奈さんが、ピラティスの23の動きをワンテイクで連続して行っていく。
23ワークの全所要時間は、約20分(たったの。でもそれをワンテイクでこなす凄さ)。
力まかせに、見かけだけ、満里奈さんの動きを真似てみても、これが正しいのかどうか、ぴんとこない。
それでも、何年もピラティスを習っているうち、あ、そういうことか、と腑に落ちる動きが少しずつ増えていく。
先日、腑に落ちた動きは、なんと「腕立て伏せ」だった。
満里奈さんの23ワークのうち、ほとんど終盤に、腕立て伏せがくる。
ワークの終盤で体力が削がれていて、ただただ腕がつらいだけ。
ここでなぜ腕立て伏せがくるのか、意味がわからなかった。
ところが、先日のピラティスのセッションで、いろいろな動きをこなしたあと、腕立て伏せへナビされる。
そこで初の発見。
腕立て伏せって、腕の力でこなすんじゃない・・・。
お腹の力でこなすんだ。
身体を上下させる力は、腕じゃなくて、お腹が持っている。
男の人は、腕立て伏せの回数を競ったりする場合、力まかせに腕立て伏せをして、動かしやすい、使いやすい筋肉でこなしてしまうと思うけど。
女の人は、もともと腕立て伏せをする筋力があるかどうかがモンダイ、と思っていたのに。
腕の力じゃなくて、お腹、身体の芯部の筋肉を使えば、出来るんだ・・・。
ワークの終盤に腕立て伏せがくるのは、そこに至るまでに、さまざまな角度から芯部の筋肉を目覚めさせておくからなんだ。
満里奈さんの見かけの動きを真似ても、内部の動きは、見ただけじゃ真似できないし、わからない。
そして、内部の動きがわかるように、できるようにならないと、同じ結果は得られない。
という発見に浸っていたら。
ビジネスで、手段と結果があるとすると「儲かった」という結果を持つビジネスや会社の手段を真似すれば、同じ結果が得られると、みな考えがち。
だけど、手段と結果の下には、内部、見えない部分、たとえば社長や従業員が、どういうこころでやっているか、という部分がある。
その部分が真似できなければ、手段だけ真似ても、同じ結果は得られない。
ということを、教わる。
これって、つながってない?つながってない?
それから、昨日知った意見。
村上春樹の文体を真似しようとしている人は多々いると思うけれど、文章を黙読して、表層を真似してもだめ、村上さんは毎日走っている人だから、まず走ることを真似しないと、と述べている、ある小説家の意見が、面白くもつながっている気がした。
「走ること」というのはそのまんまではなく、ちょっと抽象的にとらえていいと思う。
内部、見えないところ、という意味にとらえていいと思う。
人間がやること、はすべて、人間の内部から、見えないところから、つくりだされると。