一陽来復

今年の恵方参りの神社を、去年の終りから探していた。
北。北の中でも西寄り。
ここじゃない、ここじゃない・・・と地図をたどっていき。(お寺、稲荷は除外するので)
もしかして、ない〜?と途方にくれはじめたとき、どんぴしゃの位置に神社が。
ここだっっ!
それは、穴八幡宮
早稲田にあるのか、知らないなあ。
八幡宮の検索結果には、「一陽来復」「一陽来復御守」という言葉が、キャッチフレーズのごとく踊っている。
一陽来復」って「地雷復(ちらいふく)」(by易経)のことかな??と、はっと思った。なんだか似た感じ。
辞典では「一陽来復とは、冬が終わり、春が訪れること。また、不遇のときが続いた後、幸運に向かっていくこと。 」とある。うん、似てる。
うーん、これって・・・すごく「わたしの今年」っぽい。(なぜそうなのかはもうひとつのブログのほうで書くけれど)
よし、今年自宅に貼るお札は、一陽来復御守にしよう、と決めて、恵方参りの前に、1月中旬に穴八幡宮へ。
お札を求める列に並んでいると、途中で、一陽来復御守の貼り方の説明書が掲示してある。
貼る方向と、貼る日時が。・・・日時。・・・一年に三回しか、貼るチャンスがない・・・。
わたしは、最後の一回のチャンスの前に訪れたのだった。セーフだわ。
はじめて手にした、一陽来復御守は、お札を超越して、立体的だった。
手巻き寿司みたいなかたちなのである。型崩れしたらどうしよう!と怯えながら、わたしがバッグにそのまま、ざつにしまっていると、周囲の、お札を求めにきている人々は、もうベテランって感じで、ちゃんと専用の手作りふうの絹巾着を持参して、お札を何枚もごっそりと、おさめている人も。
すいません、ざつで、と心中で謝りながら帰宅。
そして、お札を貼る最後のチャンスは、2月3日と4日のあいだの深夜、12時だったの。
ちゃんとその通りに貼る日本人って、まじめですごい!(わたしも含む)
おかげで、忘れぬように1月中旬からカレンダーにメモをして、2月3日を待ったのだった。
でもね。私が一陽来復御守で、一番感動したのは、まったく別のところにあった。
いいのよ。字が。字体が。
一陽来復」の墨書体の「一」の、ごんぶとっぷりが。
生涯最太の、ごんぶとの「一」だよ。
この「一」の意匠が、エネルギーの、迫力のモトだよ。
今まで、自宅の室内に貼ったお札は、「貼ってあるだけ」だったのだが、「一陽来復御守」は、そのあまりの存在感の大きさに、つい毎朝、おはようございます、と手をあわせてしまうわたしなのだった。

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土用が終わる

今日で土用が終わる。
前半は眠たくてよく眠れたけれど、後半はほとんど眠れない状態がつづいた、今回の土用。
土用は、ストレスチェック相談から始まった。
産業医の面談を受けたところ、「私の業務は増員が必要だと判断するからそう報告しておくね〜」と言われて、「いえ!増員は必要ありません!」と私が止めると、「どうして?」と聞かれる。
「経費がないからです!」 「?」 「人件費が。」
そうしたら産業医が笑い出して、「経費の心配をするのは経営者で、社員じゃないんですよ、会社思いなんですねえ」と言われたのが、思いがけなくてびっくり。
経費がかかる、削減しなければ、でも仕事量は減らさずに、って十年以上言われてきた非管理職のワタシ・・・。
それって、たとえれば、家庭の中で、親が、お金がない!家計を削減しないと!と、こどもに言うようなものだったのか?
たしかに、それは親が考えることであって、こどもに言ってもしょうがないよなあ。
親がこどもに何かお金を使おうとしたとき、こどもから、いいよ!だってうちはお金がないんだろ?と遠慮されるようなもの?
そういわれたら、ふつう親はフクザツな心境だろうけど・・・
しかし、それとは別の思いが浮かんだので、翌日、「産業医から出される増員のすすめの話は社内に報告しないでください」と担当社員に伝える。
二ヶ月後から始まる社の方針の変更で、私の業務は、三十代終り程度の額で、昇給が止まる業務となってしまった。
その程度の業務と会社がみなしたということだ。
ということは、私の業務に異動した子は、将来、昇給が止まるってことじゃん?
その子の未来をつぶすことになる。
その子に申し訳なくて逆に私のストレスが増してしまう。
誰だって、昇給のある業務に行きたいハズ。
しかし私の業務って、一回でも動かなければ、会社の息の根が止まる業務なんだけどなあ・・・ぶつぶつ。
あたりまえに動くものと思っているとそうなるのかなあ。
土用の終わりに、動くのがあたりまえと思っている、私の脳にも心臓にも血管にも感謝をささげよう。

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キャンディーOK

二十年以上前に、タイに旅行したときの思い出のひとつは、スーパーのレジの店員さんが、椅子に座ったまま仕事をしているのが新鮮だったこと。
日本のレジの店員さんは立っているけれど、座っていてもいいと思う。
立ちっぱなし労働はつらいはずだし、最近目にするのは年配の方が多いし、座っててもOKにしたほうが、お客側も気がラクだと思うんだけどな。(セルフレジも増えつつあるけど)
タイのスーパーのもうひとつの思い出は、お釣りの小銭がない場合は、代わりにキャンディをくれる、ってところかな。
硬貨を生産するより、キャンディを生産するほうが、国家にとっては経費がかからないんだと思う。
それに、キャンディは、お釣りの小銭分の代価になるぶんくらいは、人を喜ばせるんだと思う。
「座っててもいいレジ」と「キャンディーでもいいお釣り」のどちらも、日本はできていない。
もしキャンディーOKにしちゃったら、損益は、会計科目「キャンディー」で記載するのかな。カワイイ損益表かもしれない。

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どきどきの居場所

心臓の鼓動は、じぶんでコントロールできない。
心臓は、勝手に、変わらず、動いてくれている。
鼓動の速度も、じぶんでコントロールできない。
先月、習い事の発表会があった。
じぶんの出番がくるまで、心臓のどきどきが収まらない。
呼吸をしたり、手首の脈を数えたり、いろいろやってみるけれど、収まらない。
じぶんの出番が来て、どきどきしたまま終えて、やっぱり練習時未満の出来栄えにしかならないあ、と心中でうなだれて、席に戻ると。
あんなに四苦八苦してもおさまらなかった心臓のどきどきが、あっけなく消えている。
これが、舞台に立つ者と、舞台を見る者の差なんだ。
わたしはじぶんにそれを思い知らせるために、発表会に出るのかも。
舞台を見る側のゆったりした心臓の鼓動、落ち着き、気軽さ。
舞台に立つ側の、どうしてもおさまらない心臓のどきどき、緊張、怖さ、みじめさ。
虚勢をはっても、隠そうとしても、心臓は、だませない。
本当は怖い。その怖さを心臓は隠さない。
心臓は左半身にあるから・・・右脳が動かしているのか。
心臓は、左脳の論理を受け付けないところにあるんだ。
右脳のどきどきはきっと、わたしにいい。

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片手生活

一週間前、左手の関節の一部にトラブルが起こって、まさかの片手生活をしていた。
右手だけだと書類にゼムクリップひとつ挟むのにも悪戦苦闘したり(コツを発見してできるようになったけど)ゴツいボタンは片手でとめはずしできても、小さな貝ボタンだと不可能と気づいて、ボタンなしの服ばっかり着ていたり、いままで一度も片手で卵を割ったことがなかったのを、やるしかない!と決意して、えい!と初めて割ったりして、すごく不便な生活。
だんだん治ってきたので、年末年始は元気に越せそう。
左手の治療に通っていた整骨院の待合室で、取り付けられたモニターに流れる医療機器のCMを何となく見ていたとき。
それは、介護に関する重労働の一部を担う機器のCMで、患者の身体をベッドに移動させる機械の宣伝だった。
使用感を聞かれたおじいさんが、「申しわけないきもちを持たなくて済むのがうれしい」と言っているのに、はっとする。
生身の人間に力仕事をしてもらうことより、機械にしてもらうほうが、申しわけないきもちが少ない・・・うん、当然だ。
自動車だって、前世代は人力車で、その前の世代はカゴで・・・人力や馬力や牛力に頼っていた。
人間や馬や牛に「申しわけないきもち」も、機械化の原動力のひとつにあるのかも。
ロボットに仕事を奪われる〜んじゃなくて、誰かから申しわけないきもちを減らしてくれるのがロボットなんだよ、ととらえればいいのかも。
ちなみに、私の左手の治療は、腫れが早くひくように機械の電波を当てる部分はいわばロボット力、固定のために包帯を巻いてくれたのは人力で。
巻き上がった包帯は、よく曲線のかたまりの人間の手を、こんなに見事につつみこみつつ、ゆるまずに巻けるものだな〜とほれぼれする出来だった。
申しわけないというきもちはみじんも湧かず、感心と感謝だけがある。
感心と感謝をもらう仕事は、ロボットにわたさなくてもいい気がする。

サスケとミタニ

昨夜「真田丸」の最終回を見て、寝て、今朝起きたときに、「あ」と気づいたことがあった。
それは、佐助が55歳であるということについて。
最期に信繁に「いくつになった」と聞かれ、「55でございます」「身体中が痛うございます」という佐助。
55歳って、三谷幸喜と同じ年だ・・・。
これ、三谷氏のことなのでは?
信繁から「長いあいだ、いままでよくぞ仕えてくれた」とも言われて。
これは、キャラから脚本家への、ねぎらいの、お礼の言葉なのでは?
佐助。
最初から最期まで、登場人物たちにずっとよりそってきた、陰役。
それはまさに、脚本家のことなのでは?
ときには登場人物に恋もするが、かなう可能性はない。
「佐助」の佐は、人を助けるという意味がある漢字。
同じ意味の漢字に「佑」の字もある。
でも「佐」と「佑」は、同じ助ける役でも、ニュアンスが異なる。
「佑」は、アドバイザー的な意味で、「佐」はアシスタント的。
「佐」のほうが、より、陰役で下役なのだ。
しかもさらに下に「助」がついて、サポートぶり、献身ぶりが強調されているし。
(同じ「佐助」という名前には、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」で、春琴を生涯ささえる「佐助」がいる。春琴のほうが完全に上位者であるので、ぜったいに「佑助」ではないのだ。さすが文豪。)
脚本家という存在自体が、登場人物たちの佐助的存在なのかも。
最期に、三谷氏は、じぶんを作品の中に、登場させたんじゃないか。
いや、最期じゃない。最初から、佐助はいた。三谷氏はいた。脚本家はいた。ずっといた。
気づかなかったけれど。陰にいたから。陰役だから。
最期に気づいた。そこにいたの。ずうっとそこにいたの。おつかれさま。
すごーい、ミタニ。
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煮込み不足

ずうっと煮込み料理を作っていない。
帰宅すると、とにかく空腹で、早く調理できるものを追い求めて、炒め料理ばっかり。
予想できる味ができあがるし、食べた身体もびっくりしない。
煮込みなら、予想外の味がでてくるんだろうか。
じぶんのつくる料理はこうでも、生活は煮込みのようでありたい。
などと、勝手なことを思う。
煮えるまでに時間がかかったり、溶けて崩れて見えなくなってしまう材料もあるけれど、ちゃんと味に一役買っていて、なんの材料のおかげでこの味になったのか、できあがってみたときには、ふりかえってみたときには、もうわからない、とにかく食べよう!・・・・という煮込み料理をつくるみたいに。
それを買うとどうなるんですか〜それをやるとどうなるんですか〜の「どう」を説明できるのは、たぶん炒め料理だ。
説明できない、煮込み料理の場合は。
たぶん、時間がかかるほど、材料が多いほど、面白い味になる。
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