「他己実現」の使い方

前記事のつづき。
ちなみに、「仕事って記号化しないと、やっていけない」という使用例での「記号化」の反対語ってなんだろう?
…「理想化」かな。
仕事を理想化するのは、モチベーションを上げる作用があると思うけれど、強い立場のものに利用されることにもなりかねない気がする。
そう思った元は、先週「行動観察の基本」(著:松沼晴人)の中で遭遇した「他己実現」という言葉。
マズローの五段階の欲求段階説の一番上位にあるものは「自己実現」だが、さらにその上の段階があり、それは「他己実現」であるという解釈。(「自己超越」とする説もある)
「他己実現」とは、「他者の能力や人柄が成長することを支援する欲求」あるいは「他者の自己実現をアシストし、他人の幸せを実現したいという欲求」とのこと。
なるほどね〜と思いながら、読みすすめていて、あれ?と思う。
著者は、「他己実現」の例として、サービス業をあげていたから。
お客(他者)に喜んでもらうことを自らの喜びとする仕事というのが理由らしい。
でも、これは自己実現と他己実現がイコールになっていて、自己実現の上位にある他己実現ではないと思う。
それに、この解釈は、低賃金でも他者のためにつくすことが喜びとなるという理屈で、雇用する側に都合のいい解釈のような気も。
まず「自己実現」を確立させてから、「他己実現」を目指すことができるのではないだろうか。
当然、一生「他己実現」のレベルには到達しない人間もあるわけで。
…言葉が、別の道を歩き出してしまうことがある。
その言葉から、たやすく想像されるイメージに、言葉の意味が置き換えられてしまう現象。
かつて、酒井順子の著書「負け犬の遠吠え」を元に、「負け犬」という言葉だけが、マスコミで表面的な解釈に変換されて、番組作りのネタにされていたように。
「他己実現」も、そうなってしまう危険を孕んだ言葉のような気がする。
これらに絡んで、友人の言葉を思い出した。
発展途上国に水道をつくる」のが仕事の夫を持つ友人がいる。
安全環境、食糧環境、衛生環境などの、あらゆる生活環境が日本と比較して格段に低い国々に赴任して、仕事をする。
友人は結婚後初めての夫の海外赴任(エチオピアで二年間)にはついていったが、その次の海外赴任からは、いっさい同行しなくなった。
それほどに、過酷な生活環境だったとのことだ。
食糧環境、衛生環境にいたっては、ときに生命の危機まで感じるほどだったと。
その友人の言葉で印象的だったのが、若者の海外ボランティアについての言葉だった。
「現地の人が求めているのは、医療、建築、土木、農業などの、何らかのプロフェッショナルな技術を持った人なの。
何の技術も持たない人ではなく。たとえ現地の言葉を流暢に話せても、技術がないと。だから、そんなに海外の人をサポートしたければ、まず技術を身に着けてから、来てほしいの。」
これ、まず「自己実現」をしてから「他己実現」に向かうべき、という一例ではないかと思う。
まずは、他者にシェアできるだけの「自己」がないとね…。
と、我が身を振り返る。
(やっと)1月19日に起こった思考の流れの日記、終わり。