一流は一流じゃない

8月が始まった。
ちなみに、本日から開催の「ヨコハマトリエンナーレ2014」のテーマは、「華氏451の芸術」。
レイ・ブラッドベリ作のSF小説「華氏451度」に由来しているとのことで、ポエムを感じて、面白そうである。
秋まで開催しているが、8月中に行ってみたいなあ。
ところで。
ここ最近「一流」という単語が心にひっかかった。
ある機会で、あれ、この「一流」の使い方、意味合いが違うな、とひっかかって。
そうか「ひとつの流派」って意味合いで使っているのか、と気づく。
デジタル大辞泉で「一流」をひくと
1 その分野での第一等の地位。第一級。
2 他とは違う独特の流儀。
3 芸道などの一つの流派。
4 旗やのぼりの1本。ひとながれ。
5 同族。血統を同じくするもの。
と、ある。
「一流」と聞いて、世の人々がイメージするのは、圧倒的に「1」だろう。
私が、これ「1」の意味じゃないな、と思ったのは「3」にあたるようだ。
「1」だと、「ベスト」「ナンバーワン」という感じだけど、「2」「3」の意味になると、ぜんぜん違う。
「ワン・オブ・ゼム」「オンリーワン」って感じ。
後者の「一流」の意味の新鮮さに、へ〜となっていたとき、六本木ライブラリーで、与沢翼の著書「告白」を見かけて、読んでみた。このライブラリーでは、自分では書店で手にとらないし、買わないけど、でもちょっと内容を見てみたいなあ、という本に会うことがよくある。
感想。
この本には、「一流」という単語が頻出する。
もちろん「1」の意味だ。
著者が、どういう贅沢をしたかを超大雑把にまとめてしまうと、一流の家屋で暮らし、一流の店で食事をし、一流の店で買い物をし、一流のホテルに泊まる。
って感じ。
形容詞、「一流」ですべて事足りる。
うーん、これ・・・。
教養の経験値の表れ方は、さまざまだと思うけれど。
そのひとつが、形容詞のバラエティなのかも。
著者は「海外旅行時には一流のホテルに泊まった」とし、その一例として、パリのオテル・ド・リッツをあげている。
オテル・ド・リッツがどういうホテルなのかという説明は、ただひとこと、彼の常用形容詞「一流」とだけある。
私がとっさに浮かんだのは、映画「昼下がりの情事」の舞台だ〜きゃ〜素敵♪だったんだけど。
もちろん、まったく知らない事物に対しては何も形容できない。
知っている事物であるならば、それに対して人は、さまざまな形容詞、形容節で表現すると思う。
オテル・ド・リッツについて、歴史面とか、地理面とか、建築面とか、内装や家具面とか、犯罪事件面であげるとか。
これ、ひとつの事物を、「2」「3」の意味の「一流」として、とらえることができる目(教養・経験)を持っているか、ということだと思う。
その点、「1」の「一流」を、評価基準にするのは、はるかにラクである。
「1」の「一流」って、どういうものかというと「世間が一流と言っているもの」「値段が高いもの」ってことでしょ、たぶん。
自分に目がなくても、他人の目が太鼓判を押してくれている。
クラシック映画「太陽がいっぱい」のラスト近くのリプリーアラン・ドロン)のセリフを思い出す。
ビーチで、飲み物の注文を聞かれたとき、リプリーは「一番高いものをくれ」と答えるのである。
セレブのふりをしているけれど、この一言で、彼の教養の経験値が露呈している。
セレブ社会に入りこむことができても、自分の目と形容詞を、彼はまだ持てない。
一流は一流じゃなくて。
「2」「3」の意味なら「自己流」、「1」の意味なら「他流」だろう。
個人的には、「自己流」を見つけたほうが、平均寿命が長くなり続ける今、楽しく過ごせるのではないかと思う。