バッグ激変

以前、イメージコンサルティングに沿ったデザインのバッグを探し、マックスマーラの、持ち手が1本のタイプのマルゴーを持ってみたが。
着物にトライしはじめてしばらく経ってから、マルゴーは手放した。
なぜ洋服に持つバッグに着物が関係してくるかというとね。
着物をきた人が、通常どんなバッグを持っているかを思い浮かべてみてほしい。
浴衣などの夏物だったら、籠バッグ。
礼装、パーティなどのフォーマルな着物の場合は、絹張りの小振りなボストン型のバッグ(どちらかというとださい)だよね。
これらのバッグに見られる特徴は、側面に金具類がない、ということ。
金具を使った飾りとか、ジッパーとか。金具に限らず、プラスティックの装飾とかスパンコールとか、凹凸を側面に与えるものがない。
ロクに着物を経験していない時点でも、その理由は思い当たった。
布地が傷つかないようにするためだ。
腕時計、指輪やピアスやネックレスといったアクセサリー類も、着物には原則つけない。
同じく、それらも、布地を傷つける恐れがあるからだ。
(老舗のきもの雑誌は、その分野の消費マーケットも煽るべく、着物にあわせることをアピールしているが。あと、極妻で岩下志麻が着物にネックレスをつけているのは役柄の特殊性のアピールのためね。「着物にネックレス」という普通ならやってはいけないことをしている。そういう生き方を選んだ女である、ということを示している)
以前、曽野綾子氏のエッセイで知ったのだけど、洋装の場合、セレブリティ度を測るものさしは、最終的には服そのものではなく、ジュエリーになるんだって。
私がそこから発想したのは、そういえばテレビ番組で芸能人の私服値段チェックのコーナーで常にトップに立つ叶姉妹の服装の総計価格を底上げしていたものは結局、ジュエリーの数々だったよな、というものだった、はは。
叶姉妹でさえ、服そのものはどんなに高くしようとしても限度があるようで、身に付けることができる数千万とか億までいく価格のものは、指輪やネックレスなどの宝飾品だったのだ。
それから、アメリカのハイソサエティをターゲットにした雑誌「TOWN&COUNTRY」でも、通常の女性誌の広告が洋服やバッグやコスメで埋め尽くされるのに対し、そちらはジュエリーの広告ばっかり!なんだよ。
というわけで、高価な宝飾品を持っていなくても、宝飾品をつけないのが原則の着物なら、堂々と欧米のセレブのパーティに出席できるんだそうだ。(私にそんな機会はないと思うが、機会のある人への情報として。)
ええっと、バッグに話を戻すと。
フォーマルではなく、カジュアルな着物をきたい人の場合(私もそのカテゴリに入る)、あえて「着物用バッグ」と気張るのもヘンだし、洋服と着物兼用で持てるデザインのバッグにしちゃったほうがよくない?という発想になることがけっこうある。
そこで「側面に金具類などの凹凸がない」ことが、バッグ選びの基準として一気にクローズアップされてくるわけ。
マルゴーは側面に、まさにジッパーと、金具の留め金がある。みごとにこの基準にひっかかってしまったの。
そうでなくても、やはり電車通勤の労働者の身としては、中身の出し入れがしにくいマルゴーは、どうしても使いにくかった。
そこで決心してブランカスタに持っていき買い取ってもらい(ついでに使いにくさという点で同様だったクラッチバッグも)、買い取り価格で別のバッグを買う費用に充てた。
洋服&着物兼用バッグとして選んだのは、ADMJのミドルサイズのボストンバッグとトートバッグである。(もちろんスワロフスキーの飾りが皆無のタイプね)
ジッパーがトップの部分にあって、側面はなめらかな革のみ。
色も、マルゴーは黒だったが、考えてみれば私の洋服に多い黒の服を着たければ、むしろ黒のバッグは避けるべきでは?と気が付いて、ベージュとネイビーにした。
というわけで、すっかり「側面に凹凸がない」というヘンテコなバッグ選びの基準が確立されてしまった。
しかし、ふだんの洋服にも、カジュアル着物にもガンガン使用中のパフォーマンスの良さに満足している♪